京都山城柿渋柿渋の産地と言えば、まずは京都府南部山城地区が上げられるのではと思います。天王柿、鶴の子柿などを原料として盛んに製造され、京文化や酒処である伏見、神戸の灘等全国の清酒醸造にも貢献してきました。現在では全国の生産量の殆どを占めています。今でも天王柿に拘る一面もありますが、他方、全国から摘果柿の実、耕作放置地の柿の実を積極的に集荷して使用されています。ところで、何故、全国の柿渋製造が衰退する中で最後まで残ったのか?理由は、現状、最大の用途が日本酒の澱下げ剤となっている為、酒造メーカーの多い京都の伏見、神戸の灘に近いことと、塗料としての用途の需要を考えても、背景には、神社仏閣を始め古い木造建築が多く残る古都の奈良、京都の存在が大きいと思われます。 岐阜美濃柿渋岐阜県の西美濃地区を中心に、固有品種の田村柿を使用して製造され、地元の美濃和紙関連の地場産業を支えました。特に、渋団扇は有名で、江戸時代に鵜飼見物の土産品として誕生したようです。熊本の来民、香川の丸亀と並んで三大渋団扇と評されていました。又、伊勢地方に送られて有名な伊勢型紙に多く用いられ、江戸小紋を始め、全国の型染め文化の発展に寄与しました。又海路で江戸迄運ばれ,巨大都市江戸の文化を支えました。が、需要の減退から衰退して行きました。現在でも、揖斐郡池田町の2軒の兼業メーカーによって継続されています。また、最近では、岐阜の柿渋応援隊なるものも結成されて、隣接する伊自良地区の伊自良大実柿の摘果柿も使用して、池田柿渋として活性化が計られています。福島会津柿渋福島県会津地方を中心に身不知柿(みしらずがき)の摘果実から製造され、地場産業の有名な会津漆器の下塗りなどを主な用途として、幅広く使用されていました。ちなみに身不知柿の名前の由来は、木の大きさに比べて、沢山の実を付けることから、身の程知らずな柿だ、と言うことが語源とされています。富山越中柿渋富山県の三社柿等を原料として製造されて、特に越前・越中漆器の下塗りに使用され、又有名な越前和紙等幅広く使用されてきましたが、現在では完全に途絶えています。埼玉赤山柿渋埼玉県南部の川口市の赤山地区を中心に、浦和市、大宮市、岩槻市が接する大宮台地周辺で盛んに製造され、一大消費地であった江戸の町文化を支えました。地元産であることから「地渋」と呼ばれ、西日本から送られてくる「下り渋」より評価が高かった様です。1970年代まで生産されていましたが、以後、完全に途絶えてしまいました。尚、最近、川口市赤山地区で復活の動きがあるようです。広島備後柿渋柿渋の原料は西条柿が中心で、最盛期には200軒余りの柿渋屋が存在したと言われています。漁網などに多く利用されましたが、船体の塗料とか帆の染料にも用いられ、かの有名な村上水軍の活躍を陰で支えたと言われています。又、日本初のマスクと言われている石見銀山の柿渋染めマスク福面にも使用されたものと推測されます。又、海運業も盛んでしたので、航路で江戸に送られて、江戸の消費を支えたとも考えられます。一時期完全に途絶えていましたが、最近、NOP法人により製造が復活されました。柿渋プラネットTOPページ サイトマップ 許可無く転写・複製・転記しないようにお願い致します。
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