続・絹と明察
鵜舟の篝火に揺れる幻の宴

第七章:篝火に映えた初代と千依

新たな気持ちで新年を迎えたものの、やはり心のどこかに寂しさと満たされない気持ちを抱いていた修次郎の目の前に、ある春の朝、爽やかなそよ風に乗って一人の乙女が舞い降りて来た。
その名は森迫智衣、愛称モコである。
彼女は、アタ坊、チカベエと同期入社組であったが、二人とは異なる控えめなタイプであり、組合活動や会社行事に積極的に参加する事もなく、且つ、修次郎と仕事の関連性も薄かったので、親しく会話を交わすことが無かったが、仲間内ではモコと呼ばれている程度の情報は得ていた。
又、最寄駅からオフィスビル迄が同じ通勤経路であったにも拘わらず顔を合わすことも、粗無かった。
何故なら、当時の男子寮生は、始業時間ぎりぎりに会社の飛び込むのが一般的であり、修次郎もその一人であったから、常に余裕をもって出社していた彼女とは少々時間差が生じていたのである。
が、その朝の彼は朝一番に処理しなけばならない問題を抱えており、珍しく早めの電車に乗ったのである。
しかも、それが土曜日であったことも運命的であった。
当時は未だ完全週休二日制になる前であり、その日は午前中だけ就業の所謂半ドンであった。

前を歩く彼女を見かけて追い付き、横に並び掛けながら、
「おはよう」
と一声掛けて追い抜こうとした彼に向って、
「おはようございます」
の言葉と共に追いかけてきた爽やかな笑顔が修次郎の脚を止めた。


二言三言交わす間に、何故か彼女を誘いたい気持ちが頭を擡げてきた。
しかし、以前ある女性から笑いながらではあったが、
「いきなり女性を誘うのは失礼なんですよ、だってそうでしょ、どうせ彼氏もいない閑な女だろうと思われていると言う事でしょ」
こう指摘され、ウウンなる程なと感心して以来、これを肝に銘じるていた修次郎は、
「午後は、どこかに出かけるの?」
ワンクッション置く様に問い掛け、
「いいえ、予定はありません」
との答えを受けてから改めて誘いの言葉を続けた。
「予定が無ければ、二人で京都へでも行きませんか?」
自然の流れの中であり、又、多分断れるだろうなと思いながら軽い気持ちから発せられた言葉でもあったのだが、
「えっ、本当ですか?」
以外にも、可愛い笑顔とともに予期せぬ大きなリアクションが帰って来たのである。
当に、運命の一瞬であった。


土曜日も社員食堂は開かれており、ここで昼食を終えて後、三々五々退社していくのが日常的であったが、今日の二人は12時終業のベルトと共に会社を飛び出した。
当に、ベルサッサである。
京都に着いてから、美味しいランチを楽しむという話になっていたからである。
待ち合わせ駅の淀屋橋駅から当時名物だったTVカーである京阪特急に乗れば、あとは京都三条駅まで直通である。
ここから京津線に乗り換え蹴上駅で下車すると、まずは南禅寺山門までの散策デートコースの始まりである。
南禅寺界隈は、京都の大学に進学した高校時代の級友が南禅寺境内の末寺に下宿していた関係から馴染みが深かった。

又、南禅寺といえば、やはり湯豆腐であろう。
風情ある料理旅館の別館で、ランチとして湯豆腐を食するというデートコースを修次郎は演出していた。
良い気分でつい調子に乗ってビールを注文した修次郎は智衣にも勧めたのであるが、彼女は軽く手を振って辞した。
考えてみれば、初デートでのランチで、いきなりビールを口にする女性はいないであろうと後悔する修次郎であった。

後は、南禅寺から銀閣寺まで琵琶湖疎水の分川に沿った遊歩道、通称哲学の道を散策である。
その日は、夕刻には彼女が帰宅できる様にとの配慮から早めに切り上げたのであるが、
「また、誘ってくださいね」
別れ際の控えめな彼女の一言が、彼に次回のデートを瞬時に決断させてしまった。
偶然にも裕子と同じ高校の卒業生でありながら全く対照的な智衣との交際は、間違いなく修次郎の主導で始まった。

初めて手を握ったのはメーデーの日だった。
当時、コマザワボウでは5月1日は休日になっており、組合員は全員参加が義務として課されていたのである。
集会からデモ行進を終えると、二人は緑地公園へと向かった。
前日からの徹夜マージヤンから会場に直行した修次郎は眠気に遅まれ、芝生の上で智衣の膝枕で思わずぐっすり寝込んでしまったのだが、彼女は黙って修次郎を見つめていたのである。

「せっかく付き合ってくれたのに、ごめん」
照れ隠しで頭を搔きながら誤る修次郎に向って、
「ううん、寝顔を見てるだけで楽しかったわ」
優しく微笑んだ彼女のこの一言で、修次郎の愛は一気に膨らんでしまったのだった。

帰りの駅に向かむ道路で、後ろから走ってきた来た乱暴運転の車が二人を追い越していった時、
「危ない」
彼は思わず彼女の手を取り体を引き寄せたので、危うい処で難を逃れる事が出来たのであるが、そのまま駅まで二人の手が離れる事はなかった。
思えば、この出来事は二人を接近させる為に、気まぐれな天使が仕組んだ悪戯であったのかもしれなかった。


この頃の修次郎は、イージリスニング音楽の世界に嵌っていた。
一人暮らしを始めた学性時代から、部屋で一人音楽を楽しむのが習慣になっていた修次郎は、独身寮暮らしになっても変わることはなく、初任給で購入したのもテレビではなくオーディオセットであった。
そんな修次郎が、初めてコンサート会場の席に座り、ゆっくり周りを見渡たすと多数のカップルに囲まれていたのである。
決して羨ましいとかの気持ではなかったものの、だた違和感を感じ、以後は通路側の端席を一枚確保する様に勤めた。
会場は、主に中之島にあるフェスティバルホールであったが、このビルの上のオフィスフロアーに取引先の合繊メーカーが二社入居していたので、何かと訪れる機会が多かった。
その時帰りには必ず二階にあったチケット売り場に立ち寄りより、コンサート開催情報やチケット販売状況の収集に勤めていた。

ある時、何気なく二枚購入しことがあったが、誘う相手もなく、結局一人で訪れることとなったのだが、一席だけポッカリとあいた空席はやたらと目につき、周囲からは彼女にドタキャンを食らった哀れな男とみられていただろうと想像すると少々気分が滅入った。
更に悪いことに、会場内で幸せそうな雨宮と順美のカップとバッタリ鉢合わせしたのである。
結果、二度とチケットを二枚購入することは無かった。

ある時、修次郎から話を聞いた智衣が、是非一緒に行きたいと言い出したのである。
そこで早速、当時イージーリスニング界でも特に人気の高かったポール・モーリア楽団のコンサートチケットを二枚手配することとなった。
コンサートは開演が18時頃であり、間に休憩を挿み、閉演が20時30分頃といのが一般的であった。
一方、智衣には22時の門限があったので、コンサート後の余韻を楽しむには少々時間の余裕がなかったのである。
当時は若い女性に門限あるのが当たり前であり、又、22時は平均値であると思われた。

軽く食事を楽しんだ後は、タクシーで家まで送ることとなるのだが、初めてのコンサートにすっかり酔いしれたのか、この間の彼女は口数も多く、終始笑みを絶やさなかった。
いよいよ、彼女の家の近くまでくると、修次郎は欲望に耐えかねて彼女の肩を抱き寄せ、軽く唇ビルを重ねた。
これが、初めての口付けであった。
一瞬の彼女の反応から、これが初体験であることを明白に感じ取ることができた彼は、愛おしさが増すと同時に、何か責任の様な物を感じることも禁じ得なかった。


順調に進んだ交際でったが、俄かに障害が発生した。
彼女が家庭の事情で退職することとなったのでる。
彼女の母親が一人っ子であり、京都府の日本海側の地方都市には年老いた祖母が一人暮らしをしていたのである。
時々、母親が戻っては面倒を見ていたであるが、いよいよということになり、智衣が退職して移り住むこととなったのである。
これは、あくまでも心優しい彼女自身が自ら選んだ道でもあった。
もっともその背景として、祖母が亡くなれば、いよいよ母親の代で絶家することで合意が出来ていた上での事もあった。

「もう会えなくなりました」
別れを覚悟した彼女に向かい、
「俺が君に会いにそちらまで行けばいいだろう」
修次郎のこの一言で、
「本当に、会いに来てくれるのですか、うれしいわ」
傷心した涙顔が一瞬にして満面笑みに変わったのである。
この時、可愛いなと改めて思った。

こうして、彼女が京都の地方へと移り住むと、もっぱら修次郎が彼女の元を訪れる形でのデートとなった。
京都駅から電車に揺られて最寄り駅に着くと彼女が迎えに来た車で近隣をドライブしたり、実家のよって祖母と一緒に歓談することも度々あり、祖母からも気に入られ、それなりに楽しく時を過ごして順調であった。


母親の計らいにより、一日だけ遠出の機会を得た彼女が長良川の鵜飼を観たいと言い出したのである。
智衣は幼い頃から本が好きな文学少女タイプであり、特に川端文学ファンであり、処女作と言われる篝火の世界にあこがれていたのである。

川端康成の初恋の相手といわれ、銀座のカフェの女給をしていた初代が岐阜の寺に養女として迎え入れられると、彼は彼女を訪ねて三度岐阜を訪れている。
やがて、婚約まで交わしたものの、突然訳を明かさすことなく一方的に破棄された、この初代との思い出が忘れられないのか、彼女をモチーフにした作品が数多く執筆されており、これが伊豆の踊子に繋がったと言われている。
初代が、はつよからはちよになり、やがて、ちよと呼ばれるようになる事から、ちよ物として親しまれており、後には、川端康成初恋小説集として文庫本にもなっている。
特にその中でも篝火は、求婚して婚約を交わした背景に鵜飼が幻想的に描かれており、智衣があこがれていたのである。

一泊旅行は到底不可能であり、日帰りの旅が強行された。
新幹線で名古屋駅に向かい、そこから名古屋鉄道、通称名鉄の新名古屋駅から新岐阜駅へと向かう旅程であった。
地下にあるホームで電車を待つ二人の前に、独特のミュージックホーンを奏でながらトンネルから抜け出してきた赤いパノラマカーの姿を目にした瞬間の智衣の驚いた表情は当に少女の様に無邪気だった。

1961年に運転開始された特急電車は、真っ赤な車体で運転席が二回に設けられたパノラマカーと呼ばれる斬新な独特のスタイルと、発着時に流れるミュージッックホーンとが相まって一気に人気者となり、やがてそれは全国的となっていった。

新岐阜駅に着くと、まずは岐阜市内の南部に位置する加納町を目指した。
初代が養女として迎えられた寺を訪ねる為である。
加納町は古くから交通の要所として栄えていたが、江戸時代に入ると中山道簿整備に伴い53番目の宿場となり更なる発展を遂げ、その規模は中山道69次の中で5番の規模を誇る程だったと言われている。
又、同時に岐阜城に変わって築城された加納藩の城下町となり、相まって大いに栄えたのである。
昔の面影を残すその古い町並みの一角に、目指す西方寺があった。
「ここが澄願寺なのね」
智衣が思わず駆け寄った。
澄願寺は、小説に登場する寺の名前である。
当時の初枝は13才であり、智衣にその面影を求めるにはセーラー服姿の中学生に変身させ、又、20歳の学生であった康成になるには修次郎も詰襟姿の大学三年生に戻る必要があった。
康成と初枝の年齢差は7歳であり、修次郎と智衣は8歳であったものの、時代の変化もあり、この10年の年代差は大きくて修次郎には無理があったが、純真な智衣の世界では、それが可能である様な気がした。

その後、再び新岐阜駅まで戻ると、チンチン電車と呼ばれた市電に乗り込んだ。
市電は、名鉄により運行されていたので当初は新岐阜発であり、後に岐阜駅まで延線になったという特異な経緯を経ていた。
主な路線は、長良川を越えて北に伸びる長良線と西に向かう揖斐線及び東に向かう美濃町線の三本が存在したており、修次郎はそれぞれに思い出があった。
長良線は市内のメイン通りである稲葉通りを北東に向けて進むのであるが、短い間に直角に曲がる箇所が四か所存在する珍しい軌道を描いて走るのである。
「あら、またカーブだわ」
その度に小さく叫びながら智衣が興味津々って顔である。
彼は久しぶりに見る町並みよりも、智衣の表情を見つめている方が楽しかった。

最後となるカーブ手前の岐阜公園で下車し、公園内で休息をとった後は、彼女が金華山と岐阜城には興味を示さなかったので、付近の古い家並みを散策することにした。
昔、母親から聞かされた芸者と浮名を流した大叔父の立派な屋敷は健在であったが、すっかり交流が途絶えていたので、門を叩くことは出来なかった。
その近くにある日本一の張り子大仏が有名な正法寺を訪れた、
「これが、張り子なの」
決して大きいとは言えない目を大きく見開いて見とれる智衣が初々しかった。

その後は、長良川添いの川原町界隈の散策である。
一帯は江戸時代に長良川の水運で栄えた処で、一軒の老舗旅館を中心にして飲食店や土産物屋が点在する古い家並並みが二人を癒してくれた。
その中の一軒の店に入りと、
「これ、すてきだわ」
思わず智衣が手に取ったのは、渋うちわであった。

渋うちわとは、竹骨に和紙を張り、その上に柿渋を塗って仕上げた柿渋うちわの略称であり、岐阜渋うちわは、長良川の鵜飼い見物のお土産品として、江戸時代に誕生したと言われている。
又、肥後来民渋うちわと讃岐丸亀の渋うちわが有名で、三大渋うちわと称されている。

そもそも、柿渋とは未熟の青柿の搾汁液を発酵熟成させたものであり、塗料とか染料として日本人の文化や生活を支えたとされ、岐阜美濃、京都山城と広島備後が三大産地と称されている。
後に、修次郎は、この柿渋と出会い深くかかわることになるのだが、この出会いが運命的な出会いの始まりだったかもしれない。
又、美濃和紙も三大和紙の一つとして、越前和紙、土佐和紙と並び称されているから、岐阜渋うちわは、当に、三大産地と三大産地が作り出したトリプル三大産地品とでも言える様な存在ではなかろうか。


やがて、長良橋の上から下流を眺めると、川面を赤く染めながら沈んでいく夕日が綺麗であった。
ここまでは東から西に向かっていた長良川の流れが、橋を過ぎた辺りから急に南西に向かって大きく変わっている。
その為、川面を赤く染める夕焼けの風景も季節の移り変わりに伴い少しずつ変わって行き、晩夏を迎えて徐々に南に傾きかけた夕日は、一層川面を赤く染めj初めていた。
「綺麗な夕日だわ」
夕日で頬を赤く染めた智衣が見とれている、
考えてみれば、修次郎も長良橋の上からじっくりと夕日を眺めるのは始めてだったかも知れない。
暫くは二並んで夕日を眺めていたが、やがて、清流の川面を赤く染めながら夕日が西の彼方に姿を隠した頃、川上から明かりが流れてきた。
「鵜飼舟だわ」
振り返った智衣が嬉しそうに小さく叫んだ。

二人は急いで橋を渡ると川岸に向かった。
康成と初代が鵜飼を観たとされる旅館は、既に閉館されており、その前の川岸に腰を下ろして眺めることとなる。
篝火に映える智衣の横顔は、康成が日本一美しいと綴ったみち子、すなわち初代の顔とタブって見えた。

「あの船の上で結婚式を上げよう」
修次郎から発せられたポロポーズの声に、一瞬、戸惑いを見せたものの、
「うれしいわ」
智衣が腕を絡めてきた。
「でも、本当に私でいいの?」
応えの言葉を発する代わりに、見つめる智衣の唇をふさいだ。
実は事前に母親の内諾を得ていたのであるが、
「本当に、うちの娘でいいんですか」
その時の言葉を思い出して、母娘だなと思った。

が、今の二人はいつまでも幽玄で甘美な夢の世界に留まり続けることはできなかった。
これから大阪まで帰らなければないという現実が待っていたのだ。
後ろ髪を引かれながらその場を後にすると、橋の袂でタクシーに乗り込み、新岐阜駅へと急ぎ、名鉄特急に乗り込んだ。
この時ミュージックホーンが流れると、
「ウエディングマーチみたいだわ」
嬉しそうな笑みが愛おしく感じられた。
が、実際に二人がウエディングマーチを奏でることは出来なかった。


旅から戻った二人を一転した情勢が待ち受けていたのである。
一旦は廃家にすることで決まっていた智衣の母の実家だが、その後、親戚筋一同の強い意向により、存続させなければならなかくなっていたのだ。
そうなれば、選択肢は狭められ、嫌、彼女は弟との二人姉弟出会ったから、一択しか無かったのであろう。

その状な状況になりつつあることは、彼女は口にしなかったが、会う度に笑顔が薄れてゆく彼女の変化に、修次郎は不安な気持ちを抱き始めていたのだが、いよいよ、その日がきたのである。
全てを打ち明けた後、
「あなたがこの町で暮らせないことはわっかてます。だけど、私もこの町を離れられない」
修次郎の胸に飛び込んできた智衣を優しく抱きしめなら状況に思いを巡らせると、彼もその場で覚悟を決めざるを得なかった。
この時の智衣は最後まで気丈に振る舞い、決して涙を見せなかったのであるが、それでもホームで最後の見送りを受け彼が電車に乗り込む時、
「ごめんね」
悲し気に囁いた彼女の頬には、真珠の様な一粒の涙が光っていた。
ドアが閉まり電車が動き出しても、二人は手を振ることもなく、唯々黙って見つめ合うだけであった。
やがて、修次郎の視線から智衣が消えても彼はデッキに立ち続け、車窓を眺めたまま終着駅京都まで動くことは無かった。


考えてみれば、彼女が暮らす町は、信長の天下統一の野望を打ち砕いた因縁の武将が城を構えた処である。
やはり二人は初めから結ばれない運命だったのだなと諦めの心境に至った修次郎は、康成が初代の影を長く引きずった様なことは決してしないと心に誓った。

やがて、康成に別れを告げた初代が一年後に別の男性と結婚した様に、智衣もまた一年後に地元の男性と結婚するらしとの風の便りが修次郎の耳に届けられたは、あの運命的な出会いから二年を経た春の朝であった。



第八章へ続く


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